新潟県立環境と人間のふれあい館 ~新潟水俣病資料館~
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資料No. 新聞名 ファイル名 年月日
記事名 見出し
14251 東京新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月29日
4/9 原因、昭電排水と断定 新潟水俣病訴訟 患者側が勝訴 注意義務を怠る 過失責任きびしく追及
14252 東京新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月29日
4/9 『勝ったゾ』窓からサッとVサイン 勝訴をかみしめる患者たち
14253 読売新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月29日
4/9 昭電の不法行為と断定 新潟水俣病裁判、住民側が勝つ
14254 読売新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月29日
4/9 繰返すな工場廃液の悲劇 新潟水俣病判決理由の要旨
14255 読売新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月29日
4/9 ”勝ったんだ、とうちゃん” だが、このからだに喜びは遠い
14256 読売新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 公害裁判、道は開けた 本社座談会 出席者 野村好弘、本谷勲、大西武一
14257 読売新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 少数異見 おシリに火がついた
14258 読売新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 編集手帳
14259 読売新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 人間登場 坂東克彦さん
14260 読売新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 よみうり寸評
14261 読売新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 昭電本社へ”徹夜抗議団” 社長、深夜の謝罪 「水に流す」と最後は握手
14262 読売新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 社説 新潟・水俣病判決の意義
14263 読売新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 昭電、二億七千万円払う 長い争い一応終結
14264 朝日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 社長「おわびします」 深夜の昭電本社 患者の前に
14265 (夕刊)フジ No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 ”水俣病”は ぽつり「安すぎる」 Vサインにも複雑な原告団
14266 日経新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 昭電、全額支払う 新潟水俣病訴訟の賠償金 原告側も応じる
14267 フジ No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 編集長から
14268 日経新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 社説 「新潟水俣病」判決と企業の責任
14269 日経新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 遅れた公害行政にカツ 新潟水俣病判決 利害越えまず救済 大きくなる企業の責任
14270 毎日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 余禄
14271 日経新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 重い十字架は消えず 新潟水俣病 まだ続く闘病生活 「賠償金」に沈痛な被害者
14272 毎日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 国際犯罪の十字路・日本 公害訴訟に新局面
14273 毎日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 新潟水俣病 「原告勝訴」どう受止める? 座談会 藤井丙午、大石武一、篠塚昭次、武谷三男
14274 毎日新聞(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 賠償3億円、被災者へ 「まだ終わらんぞ」 帰る昭電代表に飛ぶ声
14275 毎日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 巨大化だけでなく 迷惑かけぬ技術開発 企業も体質転換を 新潟水俣病の判決 専門家指摘
14276 毎日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 昭電の」刑事責任」追及 阿賀野川水銀中毒 検察庁、検討始める
14277 毎日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 公害訴訟に新局面 阿賀野川水銀中毒判決 企業との力関係変化 住民の生命守る道ひらく
14278 毎日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 社説 「水銀中毒」判決の意味するもの
14279 東京タイムズ No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 社説 企業の良心を問う新潟判決
14280 東京タイムズ No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 勝った! 昭電に“過失責任” 新潟水俣病訴訟 長い、苦しい、“道のり〟は続く
14281 サンケイ(夕刊) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 補償金、被害者の手へ 2億7千万、現ナマで 水俣病 昭電側は神妙な表情「「
14282 朝日新聞 No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月30日
4/9 沖縄国会 野党、公害追及へ 「無過失法」成立に重点
14283 朝日新聞(空輸号外) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月29日
4/9 昭電側の過失認める 新潟水俣病、患者側に勝訴判決
14284 朝日新聞(空輸号外) No.Ⅱ-1140 1971(昭和46)年9月29日
4/9 苦闘6年、沈痛な勝利 新潟水俣病の患者たち カネで幸福はかえらぬ 改めてこみあげる怒り
14285 新潟日報 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月28日
5/9 無条件で交渉再開 チッソ社長、水俣で語る
14286 赤旗 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月28日
5/9 公開で話合いへ チッソと患者側
14287 <不明> No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月29日
5/9 チッソとの話し合い応じる
14288 新潟日報 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月3日
5/9 チッソ五井工場の六人送検 水俣病患者らに暴行
14289 赤旗 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年2月7日
5/9 土呂久の被害調査 弁護団編成を提案へ 九州総評弁護団有志ら
14290 新潟日報(夕刊) No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年2月8日
5/9 中公審が調停申請却下を 川本さんら要望へ
14291 新潟日報 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月31日
5/9 すわり込みが奏功 再開される「水俣」の自主交渉
14292 赤旗 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月31日
5/9 水俣病の責任とれ 総評、東京地評が抗議集会 チッソ本社にデモ 患者ら 寒風の中ほお紅潮
14293 新潟日報 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月30日
5/9 チッソの自主交渉 来月早々にも再開 大石長官、あっせん受諾
14294 赤旗 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月30日
5/9 特集 大詰め迎える水俣病裁判
14295 朝日新聞 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月25日
5/9 こじれる水俣病補償 チッソと自主厚相派 大きく食違う主張 ”公害大国”の現実を象徴
14296 朝日新聞 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月25日
5/9 公害闘争 総評の体質変革 大木事務局長強調 「チッソ問題」反省
14297 新潟日報 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月26日
5/9 大石長官が仲介へ チッソ 島田社長が申し入れ
14298 朝日新聞 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月27日
5/9 チッソ交渉実現へ 患者、大石長官と話合う
14299 赤旗 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月22日
5/9 父と不知火の海を返せ 熊本水俣病第29回口頭弁論 チッソの責任鋭く追及 元工場長ら 利益優先認める
14300 新潟日報 No.Ⅱ-1140 1972(昭和47)年1月25日
5/9 川本さんらを支援 総評 29日にチッソ抗議集会
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