新潟県立環境と人間のふれあい館 ~新潟水俣病資料館~
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◎ 新潟水俣病を学習して

2004/06/01
最初に水俣病になった人の写真を見た時、正直私は、「何~ ?この人少し変。」と思いました。今考えると、とても申しわけなかったと思います。「たたりだ! 」と言った人たちと私はいっしょでした。昭和電工の人たちは、このような大事件を起こして、今どう思っているんだろうと思います。
 語り部さんの話を聞いた時、最初からとても切ない思いで聞きました。私には苦しみや悲しみを実際に体験したことはなかったから、少ししか分かりませんでした。語り部さんの話を聞いているうちに、語り部さんがよく言っていた言葉を見つけました。「苦しかった。悲しかった。大変だった。」つらいような言葉しかでていないように私は思いました。
 「バスに乗るにもかくれて、病院に行く。病院へは裏口から入れられ、見られる度に悪口を言われる。」語り部さんは自分が苦しいのに分かってもくれない、医者までもがうたがうんだと話していました。私が一番心をうたれた言葉は質問の時でした。「何度も死のうと思った。」と言った時です。「えっ」と私はびっくりしました。泣きながら話す語り部さんを見て、自分もつらくなってきました。
 最後に、「美しい自然を守ってほしい。強い心でがんばってほしい。」と私たちに力強く言う語り部さん。私は心のなかで「ぜったい美しい自然を守ってみせます。」と強く思いました。そして「つらいことも話してくれて、ありがとう。」の気持ちでいっぱいです。私は語り部さんが話をやめて会場を去るとき何度も心の中で思いました。以前、鹿瀬まで家族と旅行へ行きました。「あれが昭和電工だよ。」とお父さんが教えてくれました。あの時私は、まだ何も分かりませんでした。今思うと、「さびれていたなー。大きいなー。人気がないなー。」だったように覚えています。昭和電工がメチル水銀をたれ流しさえしなければ、こんな病気は起こらなかったはずです。もし分かって流していたなら、なおさら
私は水俣病をいつになろうと絶対許しません。
阿賀野市立小学校5年生( H 16.2来館)
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