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資料No. |
新聞名 |
ファイル名 |
年月日 |
冊 |
記事名 |
見出し |
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16051 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年9月16日 |
6/9 |
医療連絡網を密に |
上村桂 環境保健部長 |
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16052 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年9月29日 |
6/9 |
公害弁連がシンポ 熊本 |
水俣病問題の全面解決を |
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16053 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月3日 |
6/9 |
胎児性水俣病患者が小工房で和紙漉き |
製作に喜び、販売も 石牟礼さんや若者が協力 |
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16054 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月2日 |
6/9 |
水俣病治療費打ち切り |
県、個人の事情考慮 |
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16055 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月2日 |
6/9 |
水俣・丸島漁港 県が1億7200万円の公害事業計画 |
しゅんせつ量は1万1880立方㍍ |
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16056 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月3日 |
6/9 |
6年ぶりに死亡者認定 |
水俣病 |
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16057 |
熊本日日新聞(夕刊) |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月4日 |
6/9 |
水俣病認定申請患者ら 法務局判断に抗議 |
医療費補助打ち切りで |
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16058 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月5日 |
6/9 |
水俣市の丸島、百間排水路 ヘドロ処理あす着工 |
64年度終了 都市下水路に変身 |
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16059 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月8日 |
6/9 |
国立水俣病研究センター |
WHO協力機関に 11日記念式典 |
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16060 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月12日 |
6/9 |
水俣病研究センターで式典 |
WHOの指定を記念 |
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16061 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月17日 |
6/9 |
水俣湾ヘドロ処理事業 |
50億円増額 484億9000万円に |
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16062 |
熊本日日新聞(夕刊) |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月17日 |
6/9 |
水俣病申請4人の不服審査請求棄却 |
環境庁 |
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16063 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月23日 |
6/9 |
鹿瀬電工 新会社設立へ |
水俣病患者 苦情処理引き継ぐ |
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16064 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月24日 |
6/9 |
第6陣37人追加提訴へ |
水俣病三次訴訟 |
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16065 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月24日 |
6/9 |
県水俣病認定審に要求書 |
患者3団体 委員は再任辞退を |
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16066 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月25日 |
6/9 |
チッソ子会社の賠償責任を主張 |
水俣病東京訴訟で原告 |
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16067 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月25日 |
6/9 |
勝利めざし結審前集会 |
水俣病4次訴訟の出張尋問原告団 水俣 |
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16068 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月26日 |
6/9 |
ヘドロしゅんせつ開始 |
水俣市の丸島百間両排水路 |
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16069 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月28日 |
6/9 |
チッソ工場の流出ヘドロ |
水銀4.23ppmを検出 水俣病センター相思社発表 |
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16070 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月24日 |
6/9 |
鹿瀬電工解散 新会社設立へ |
新潟 |
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16071 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月29日 |
6/9 |
水俣病三次訴訟あす結審 熊本地裁、来春にも判決 |
国、県の加害責任問う |
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16072 |
熊本日日新聞(夕刊) |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月30日 |
6/9 |
37人が追加提訴 |
水俣病3次訴訟、原告の第6陣 |
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16073 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月28日 |
6/9 |
昭電労組鹿瀬支部 再建案にきょう返答 |
80人体制で基本合意 |
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16074 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月30日 |
6/9 |
水俣病三次訴訟 原告団が知事と交渉 |
救済、責任訴える |
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16075 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月30日 |
6/9 |
患者らが結審前夜集会 熊本市 |
訴訟勝利へ決意表明 |
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16076 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月31日 |
6/9 |
水俣病3次訴訟結審 |
言い尽せぬ訴え 6年半振り返る本田さん 原告団副団長 あとは判決待つだけ |
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16077 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月31日 |
6/9 |
水俣病三次訴訟が結審 |
判決は来年3月30日 熊本地裁 |
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16078 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月3日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[1] |
自立〈上〉 親元、水俣を離れたい |
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16079 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月4日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[2] |
自立〈下〉 現実教えた”中間行き” |
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16080 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月5日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[3] |
共生① 人を結ぶ無農薬ミカン |
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16081 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月6日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[4] |
共生② 今、子供たちに伝えたい |
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16082 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月8日 |
6/9 |
独自の「特別措置法」を説明 |
水俣病救済で日弁連部会 医療費行政負担など |
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16083 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月22日 |
6/9 |
鹿瀬電工 解散、新会社設立を提案 |
140人削減、関連会社に配転 |
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16084 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月31日 |
6/9 |
最終弁論で母親懸命の訴え 目頭押さえる傍聴者 第三次訴訟結審 |
発生、拡大は国・県も責任 |
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16085 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月7日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[5] |
共生③ ”全ての被害者の拠点に” |
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16086 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年10月31日 |
6/9 |
水俣三次訴訟が結審 熊本地裁 |
判決は来年3月に 提訴から6年半 裁かれる行政の責任 |
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16087 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月9日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[6] |
共生④ 一人ひとりの生き方模索 |
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16088 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月9日 |
6/9 |
受診率が急上昇 半年たった水俣病”新検診体制” |
認定率は大幅に減る |
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16089 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月12日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[7] |
共生⑤ 社会を見る物差し求め |
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16090 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月12日 |
6/9 |
国立水俣病研究センター 目的外の検診に協力 |
県が要請 患者ら反発強める |
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16091 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月13日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[8] |
共生⑥ やれる範囲で関わりを |
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16092 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月14日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[9] |
二世① 座り込み・・・部落解放運動へ |
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16093 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月15日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[10] |
二世② 立場の違い超えた対話望む |
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16094 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月16日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[11] |
二世③ 両親の姿に悩みも吹っきれ |
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16095 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月18日 |
6/9 |
三件の申請棄却 |
水俣病認定審査会 |
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16096 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月17日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[12] |
二世④ 食べ物と命通じて”水俣”へ |
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16097 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月18日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[13] |
苦海浄土① 「何故書くか 自覚は後から」 |
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16098 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月19日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[14] |
苦海浄土② 庶民の群像つみ重ねたい |
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16099 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月18日 |
6/9 |
”環境汚染防止に一役” |
20日発足「せっけんをつくる会」 水俣市 |
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16100 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年11月20日 |
6/9 |
水俣病30年 第4部 命の復権[15] |
苦海浄土③ 「海は死なず」の希望持って |
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