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資料No. |
新聞名 |
ファイル名 |
年月日 |
冊 |
記事名 |
見出し |
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15501 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年8月17日 |
1/9 |
水俣病第二次訴訟控訴審判決 |
国、県は全被害者救済を これ以上の切りすて許さない 【解説】 |
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15502 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年8月11日 |
1/9 |
16日に第二次訴訟控訴審判決 |
水俣病”正しい認定制度”求め12年余 |
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15503 |
新潟日報(夕刊) |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年8月16日 |
1/9 |
水俣病二次訴訟 福岡高裁も4人認定 |
1人棄却 チッソは3240万円払え |
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15504 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年8月17日 |
1/9 |
水俣病第二次訴訟控訴審判決 |
国、県の認定制度を批判 「病型、症状は多彩」4人再認定、1人を棄却 福岡高裁 |
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15505 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年8月17日 |
1/9 |
手とりあい「勝った!」 水俣病第二次控訴審判決 |
”行政、チッソは誠意示せ”30年の痛苦早く償って |
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15506 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年8月17日 |
1/9 |
公害絶滅へ運動強化 水俣病訴訟弁護団が声明 |
患者救済に明るい道 |
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15507 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年8月17日 |
1/9 |
水俣病第二次訴訟控訴審 |
判決要旨 |
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15508 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月15日 |
2/9 |
県議会公害特 チッソ県債発行を了承 |
決算報告 改善の要望 |
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15509 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月19日 |
2/9 |
この一年⑦ |
新潟水俣病二十年 風化させずに継続取材 大切さを痛感 |
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15510 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月19日 |
2/9 |
ボーダーライン層の範囲特定を要求 |
水俣病被害者の会など |
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15511 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月19日 |
2/9 |
環境庁にチッソへの行政指導訴え |
医療費支給で水俣病三次訴訟原告団 |
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15512 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月24日 |
2/9 |
水俣病認定申請 |
六件を棄却 審査会が答申 |
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15513 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月23日 |
2/9 |
行政側、裁判で敗北 |
進まぬ患者救済 |
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15514 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月23日 |
2/9 |
85水俣病回顧 |
未処分なお6000人 ヘドロ処理 チッソ県債 |
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15515 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月24日 |
2/9 |
水俣病特別医療事業 |
補助金組み入れ決定 |
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15516 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月24日 |
2/9 |
水俣病審査会 |
6人の申請を棄却 |
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15517 |
熊本日日新聞(夕刊) |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月24日 |
2/9 |
半島振興家族旅行村 全国枠で認められる |
「水俣病」に9億7000万円 |
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15518 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月24日 |
2/9 |
取材前線 |
水俣病裁判を取材して |
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15519 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月26日 |
2/9 |
百間、丸島排水路ヘドロ処理事業 |
汚染者負担10億4000万円 |
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15520 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月28日 |
2/9 |
熊本シナリオ無難なスタート |
来年の課題 水俣病 知事会見 |
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15521 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月27日 |
2/9 |
水俣病で知事 |
1人認定、64人棄却 |
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15522 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月28日 |
2/9 |
水俣病関係裁判 |
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15523 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月30日 |
2/9 |
森環境庁長官が会見 任期2年なら現地へ |
「水俣病徹底的に勉強」 |
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15524 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月1日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[1] |
家族① 克服へ確かな営み |
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15525 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月1日 |
2/9 |
取材前線 |
水俣病取材班に一員として |
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15526 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月30日 |
2/9 |
ファイル12月 |
ニュース、できごと |
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15527 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年12月30日 |
2/9 |
焦点 水俣病待たせ賃訴訟判決 |
行政責任厳しく指摘 |
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15528 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月6日 |
2/9 |
渡辺栄蔵氏 |
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15529 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月5日 |
2/9 |
死亡した元原告団長の渡辺さん 大きな足跡残す |
水俣病救済の先頭に |
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15530 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月5日 |
2/9 |
水俣病第一次訴訟原告団長 渡辺栄蔵さん死去 |
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15531 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月5日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[4] |
家族④ 「しのぶのために闘った」 |
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15532 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月5日 |
2/9 |
日曜家庭版 昭和史を歩く[50] |
水俣病 行政に抜き難い不信感 |
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15533 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月6日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[5] |
家族⑤ 「チッソが我が子を・・・」 |
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15534 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月3日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[2] |
家族② 見られるための旅へ |
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15535 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月4日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[3] |
家族③ 骨ひとつなかった墓 |
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15536 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月7日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[6] |
栄蔵さんの死㊤ 反権力の立場を鮮明に |
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15537 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月8日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[7] |
栄蔵さんの死㊦ まじめな生き方教える |
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15538 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月9日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[8] |
網元㊤ チッソ辞め タチウオ釣り |
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15539 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月10日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[9] |
網元㊥ 最盛期 7隻の船抱える |
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15540 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月11日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[10] |
網元㊦ 「やっぱ生まれ育った所が」 |
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15541 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月12日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[11] |
漁㊤ 釣り糸操る手が引きつり |
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15542 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月13日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[12] |
魚とともに生きた日々 |
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15543 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月14日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[13] |
変調㊤ 魚、猫、鳥に異様な動き |
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15544 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月15日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[14] |
変調㊦ よく転び、指も震える |
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15545 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月16日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[15] |
奪われた海㊤ 漁民の怒りはチッソに |
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15546 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月16日 |
2/9 |
水俣病30年委を結成 |
内外に現状訴え 患者、労組など9団体 水俣市 |
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15547 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月17日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[16] |
奪われた海㊥ 漁あきらめチッソ”入社” |
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15548 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月18日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[17] |
奪われた海㊦ 漁民の間にも意識の差 |
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15549 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月18日 |
2/9 |
水俣病公式発見30周年 |
水俣市で「アジア環境会議」 専門家招き5月に患者・支援者ら |
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15550 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月19日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[18] |
命㊤ リハビリの効果望み薄 |
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