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資料No. |
新聞名 |
ファイル名 |
年月日 |
冊 |
記事名 |
見出し |
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15551 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月20日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[19] |
命㊦ 「苦労するため生まれた」 |
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15552 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月21日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[20] |
主治医 住民の信頼と長年の自負 |
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15553 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月22日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[21] |
行商 しびれに悩みながら・・・ |
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15554 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月23日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[22] |
会社 「補償と再建」揺れる心 |
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15555 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月24日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[23] |
分裂㊤ 旧労と新労、激しい争議 |
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15556 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月24日 |
2/9 |
水俣病3次訴訟の出張尋問 |
原告側の立証終える |
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15557 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月24日 |
2/9 |
「海底でのヘドロ移動危険」県水俣湾公害防止監視委 |
3月、現地視察へ |
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15558 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月25日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[24] |
分裂㊥ ”組合の価値問う”闘い |
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15559 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月29日 |
2/9 |
水俣病 |
十四人が追加提訴 |
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15560 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月26日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[25] |
分裂㊦ 争議で得したものはない |
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15561 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月27日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[26] |
煩もん㊤ 認定申請に家族の反対が |
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15562 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月28日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[27] |
煩もん㊦ 伝染病のイメージ今も |
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15563 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月28日 |
2/9 |
水俣市長選 |
候補者に聞く |
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15564 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月28日 |
2/9 |
水俣病京都訴訟 |
3月7日までに追加提訴へ |
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15565 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月29日 |
2/9 |
新潟水俣病二次訴訟弁論 |
「未認定でも発症」藤野院長(水俣協立病院)が証言 |
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15566 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月29日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[28] |
代償① 補償金で新築ラッシュ |
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15567 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月30日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[29] |
代償② 「交際が太うなった」 |
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15568 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月28日 |
2/9 |
新潟水俣病 未認定の14人提訴へ |
総額3億800万円求める |
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15569 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月30日 |
2/9 |
熊本市 職員初の農学博士 |
田島さん12年間地道に水銀研究 |
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15570 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年1月31日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[30] |
代償③ 「借銭残った旅館経営」 |
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15571 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月1日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[31] |
代償④ 新船買ったが、体は不調」 |
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15572 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月1日 |
2/9 |
ニュース抄 |
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15573 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月1日 |
2/9 |
水俣市長選あす投票 |
午後11時ごろ最終票確定 |
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15574 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月2日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[32] |
移住㊤ 市民意識と後悔の念と |
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15575 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月2日 |
2/9 |
水俣湾ヘドロ処理第一工区 |
圧密現象約1㍍地盤沈下 |
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15576 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月3日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[33] |
移住㊦ 人間性求めたが、金優先 |
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15577 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月3日 |
2/9 |
水俣市長に岡田氏 |
初当選 浮池氏に900票差 |
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15578 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月3日 |
2/9 |
水俣市長選 当選の喜び最高潮 岡田陣営 |
涙流し、抱き合い・・・ |
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15579 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月4日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[34] |
帰郷㊤ 「いい所、でも仕事少ない」 |
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15580 |
<不明> |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月4日 |
2/9 |
新水俣市長 岡田稔久氏に聞く |
初仕事は百人委設置 市民の意思反映図る |
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15581 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月5日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[35] |
帰郷㊥ 心には古き良きふるさと |
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15582 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月6日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[36] |
帰郷㊦ 夫に搾り取られた補償金 |
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15583 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月6日 |
2/9 |
宇井純東大助手がお別れ講義 |
4月から沖縄大へ |
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15584 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月7日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[37] |
離郷① 懐かしい思い出、幼友達 |
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15585 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月7日 |
2/9 |
4人を水俣病に認定 |
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15586 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月8日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[38] |
離郷② 認定申請は保留のまま |
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15587 |
熊本日日新聞(夕刊) |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月8日 |
2/9 |
グラフ今週の目 |
最後の講義 |
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15588 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月9日 |
2/9 |
水俣病待たせ賃訴訟 |
国、県の上告理由書 あすにも提出 |
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15589 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月9日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[39] |
離郷③ 「水俣」は口に出さない |
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15590 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月10日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[40] |
離郷④ 「いつ寝こむか」の不安 |
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15591 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月11日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[41] |
道程① 分裂の波にのまれ続け・・・ |
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15592 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月11日 |
2/9 |
国、県上告理由書を提出 |
水俣病待たせ賃訴訟 最高裁で初論争へ |
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15593 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月12日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[42] |
道程② 見舞金出て虚脱状態に |
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15594 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月13日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[43] |
道程③ 公害病認定まで半信半疑 |
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15595 |
<不明> |
No.Ⅱ-1142 |
1985(昭和60)年10月2日 |
2/9 |
新潟水俣病5陣提訴へ 新潟地裁 |
認定却下の43人 9億6400万円の賠償請求 |
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15596 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月14日 |
2/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[44] |
道程④ 原告になることが闘い |
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15597 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月13日 |
3/9 |
東大研究員 フォーリャンティーさん |
「新潟水俣病」研究に挑戦中デス! |
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15598 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月17日 |
3/9 |
弁護団と支援者らが交流 京都 |
水俣病京都訴訟勝利を |
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15599 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月16日 |
3/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[45] |
道程⑤ 「闘ったからこそ」の自負 |
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15600 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1142 |
1986(昭和61)年2月17日 |
3/9 |
水俣病30年 第1部 湯堂から[46] |
不信㊤ 冷たい検査医師に怒り |
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