新潟県立環境と人間のふれあい館 ~新潟水俣病資料館~
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資料No. 新聞名 ファイル名 年月日
記事名 見出し
1801 毎日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年8月31日
3/12 政府結論は明年以降 阿賀野川水銀中毒 大筋は厚生省通りか
1802 読売新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年8月31日
3/12 「汚染源は昭電工場」 阿賀野川水銀中毒 食品衛生調査会が答申
1803 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月1日
3/12 社説 ”新潟水俣病”に厚生省の結論
1804 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月2日
3/12 千八百万円の慰謝料 四日市で公害訴訟 患者九人、六社に請求
1805 <不明> No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月3日
3/12 年内に国の見解 科学技術庁 水銀中毒事件
1806 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月3日
3/12 食品衛生調査会の答申 厚生省側も認める 阿賀野川水銀中毒
1807 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月3日
3/12 公害賠償に基金制 厚生省が新設の方針
1808 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月5日
3/12 水銀中毒の一家に訴訟救助
1809 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月5日
3/12 公害防止に補助金 文部省の来年度計画 被害校を実測調査
1810 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月6日
3/12 13日に口頭弁論 阿賀野川水銀中毒事件
1811 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月7日
3/12 製油の公害なくす 出光興産 脱硫装置が完成
1812 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月8日
3/12 水銀中毒患者の温泉療法 好評、あすから再開
1813 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月9日
3/12 再び農薬説を強調 新潟水俣病 昭電が準備書面提出
1814 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月9日
3/12 原、被告の準備書面出そろう 昭電側 新しい主張見当たらず 阿賀野川水銀中毒訴訟
1815 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月6日
3/12 13日に初公判 水俣病訴訟
1816 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月12日
3/12 食品衛生調査会の水俣答申 新潟地検も検討 衆院公害特別委で川井局長
1817 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月13日
3/12 きょう初の口頭弁論 被災者の慰謝料請求 阿賀野川水銀中毒
1818 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月13日
3/12 工場廃水か農薬か 水俣訴訟・きょう初公判 冒頭から論戦模様 初の公害裁判 満を持す両弁護団
1819 新潟日報(夕刊) No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月13日
3/12 水俣病 ”世紀の裁判”幕あけ 早くも鋭く論戦 原告の桑野さんら 昭電側に詰めよる 新潟地裁
1820 新潟日報(夕刊) No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月13日
3/12 地裁を包む緊迫感 水俣裁判 早朝から傍聴者の列 原告側の発言に励ましの拍手
1821 読売新聞 No.Ⅱ-1134 1965(昭和40)年6月13日
4/12 新潟県下に”水俣病” 七人が発病、一人死ぬ 阿賀野川の両岸 農家の男ばかり 有機水銀の中毒 原因は不明
1822 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1965(昭和40)年6月14日
4/12 阿賀野川で砂や水を採取 水俣病の調査
1823 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年3月25日
4/12 基本姿勢に相違 公害対策 厚生、通産省両省で
1824 <不明> No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年7月14日
4/12 ニュース川柳
1825 <不明> No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月16日
4/12 水銀の多量混入ない 阿賀野川中毒 工場廃液で昭電答弁書
1826 新潟日報 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月16日
4/12 公害法 成立の見通し 与野党 共同修正案まとまる
1827 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月15日
4/12 13人に機能回復訓練 水銀中毒の患者に予算
1828 赤旗 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年10月21日
4/12 時のことば 産業公害
1829 新潟日報 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年7月15日
4/12 十三人に温泉療法 水俣病患者 下旬から二週間
1830 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月17日
4/12 ここに政治を <39> 終止符のない奇病騒ぎ 茨城県の猿島肝炎
1831 <不明> No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月18日
4/12 公害基本法案 在外財産補償 衆院を通過
1832 新潟日報(夕刊) No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月18日
4/12 水俣裁判は慎重に 関谷新潟地裁所長 新任の記者会見
1833 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月19日
4/12 農家の人が捨てる 阿賀野川 河川敷の農薬ビン
1834 新潟日報 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月18日
4/12 救済は国で 水銀中毒 関東人権擁護委が要望
1835 新潟日報 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年7月18日
4/12 農薬を捨てたのは農家 県警が中間報告
1836 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月14日
4/12 口頭弁論始る 阿賀野川水銀中毒訴訟 両弁護団が応酬 三家族、怒りの訴え 新潟地裁
1837 <不明> No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月14日
4/12 法廷に被災者の怒り 新潟地裁 憤まんぶちまく 昭電側押され沈黙勝ち 阿賀野川水銀中毒事件
1838 毎日新聞(新潟版) No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月14日
4/12 怒りぶちまける患者 水銀中毒裁判第1回口頭弁論 「地震前からしびれ」 桑野忠吾さん 農薬説を強く否定
1839 新潟日報(夕刊) No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月29日
4/12 新潟の患者へ激励の見舞金 熊本県の水俣病患者家族互助会
1840 新潟日報 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月24日
4/12 ノドの障害 汚染地区に多い 日大医学部がひかくちょうさ
1841 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月27日
4/12 暮しを奪う公害 市原 二十年後には住めない 四日市 不安恐れ結果を伏せる 建設省の調査
1842 朝日新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月30日
4/12 京葉公害 ”防止対策は十分“ 東電 建設省調査に反論
1843 新潟日報 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月29日
4/12 水俣病裁判始まる 答える人 新潟日産報道部・小川日出吉さん 越路雪子さんの
1844 新潟日報 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月30日
4/12 12月1日に第1回口頭弁論 四日市公害訴訟
1845 北日本新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月29日
4/12 イタイイタイ病 ”公害”で本格的にメス 社会党調査団現地へ 「第三の水俣病」に発展か
1846 富山版 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年10月1日
4/12 次期国会で究明 イタイイタイ病 社党調査団語る
1847 富山版 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年9月28日
4/12 イタイイタイ病 これでよいのか治療対策 身長30センチ縮まる 治療費なく再発も
1848 毎日新聞 No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年4月24日
4/12 越路週評 水銀被災者を救え
1849 毎日新聞 No.Ⅱ-1134 2007(平成19)年9月18日
4/12 越路週評 急げ公害裁判の判決
1850 <不明> No.Ⅱ-1134 1967(昭和42)年10月5日
4/12 第一回口頭弁論の開始を待つ原告桑野忠吾さん親子
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