|
|
|
|
|
当館にある水俣病などに関する新聞記事が検索できます。記事は当館で閲覧できます。
検索例 ) 「期間」を選択、「検索ワード」に水俣病と入力して「検索」
※期間のみでの検索も可能です。 |
|
資料No. |
新聞名 |
ファイル名 |
年月日 |
冊 |
記事名 |
見出し |
|
|
1951 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月13日 |
6/12 |
資金難の弁護団 水銀中毒裁判 |
手弁当でも続かぬ タクシー代にこと欠く |
|
|
1952 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月15日 |
6/12 |
”政府見解を早く” |
阿賀野川の水俣病問題 衆院予算委で追及 |
|
|
1953 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月15日 |
6/12 |
国の結論早く出せ |
新潟水俣病 石田氏、科学技術庁を追及 |
|
|
1954 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月14日 |
6/12 |
公害研究機関作れ 若槻氏(社会) |
知事 地沈対策、政府に期待 |
|
|
1955 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月17日 |
6/12 |
原因は鉱山の排出物 |
イタイイタイ病 小林教授が断定 |
|
|
1956 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月13日 |
6/12 |
”イタイイタイ病”対策 |
超党派で立法措置 |
|
|
1957 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月17日 |
6/12 |
天声人語 |
|
|
|
1958 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月18日 |
6/12 |
天声人語 |
|
|
|
1959 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月20日 |
6/12 |
県会、常任委員会審査終わる |
公害調査課を新設 便宜供与の基準示せ 工場誘致条例改正案で追及 |
|
|
1960 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月21日 |
6/12 |
公害、子供に悪影響 林氏(共産) |
知事 市と協力して健康調査 |
|
|
1961 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月21日 |
6/12 |
公害対策審が初の会合 |
会長に和達氏 |
|
|
1962 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月21日 |
6/12 |
早急に法律を準備 |
中央公害対策審が初会合 |
|
|
1963 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月21日 |
6/12 |
”鉱業所は慰謝料払え” |
イタイイタイ病患者が訴訟へ |
|
|
1964 |
新潟日報(夕刊) |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月22日 |
6/12 |
国の結論、年越し? |
阿賀野川水銀中毒 通産省が意見出さず |
|
|
1965 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月23日 |
6/12 |
ことしも生業資金 |
市など 水銀中毒患者世帯に |
|
|
1966 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月24日 |
6/12 |
小沢氏(民社)説に反論 |
社党水俣病対策委 喜田村教授らが証言 |
|
|
1967 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
2007(平成19)年12月26日 |
6/12 |
公害防止施設に融資条件を改善 |
通産省 産業公害対策 |
|
|
1968 |
朝日ジャーナル |
No.Ⅱ-1134 |
1967(昭和42)年12月31日 |
6/12 |
表紙 |
|
|
|
1969 |
毎日新聞(新潟版) |
No.Ⅱ-1134 |
1967(昭和42)年12月26日 |
6/12 |
ことしも年を越す 阿賀野川水銀中毒事件 (上) |
動かされた弁護士たち 思想越えて奉仕 検証の車代まで自費 |
|
|
1970 |
富山新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月7日 |
7/12 |
全国の青年弁護士が無料奉仕 |
イタイイタイ病 今月中に提訴 婦中で対策協を励ます |
|
|
1971 |
北陸中日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月7日 |
7/12 |
訴訟へ弁護団結成 |
神通川のイタイイタイ病 |
|
|
1972 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月13日 |
7/12 |
イタイイタイ病 弁護団が結成された |
20氏参加”必ず勝つ” 被害者に大きな励まし |
|
|
1973 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月15日 |
7/12 |
カドミウムにしぼる |
イタイイタイ病の原因調査 厚生省 |
|
|
1974 |
<不明> |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月20日 |
7/12 |
富山のイタイイタイ病 |
全国的弁護団結成(婦中町にて) 青年法律家全面的支援活動を!! |
|
|
1975 |
新潟水俣病ニュース |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
年末一時金 十万円かちとる |
|
|
|
1976 |
新潟水俣病ニュース |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
通産省、昭電ようごの回答 |
「水俣をくりかえすな」の声ふみにじって |
|
|
1977 |
新潟水俣病ニュース |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
記録映画「新潟水俣病」の完成めざして |
映画人会議議長 武田劭 |
|
|
1978 |
新潟水俣病ニュース |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
昭電をさらにおいつめた |
第二回 第三回 現場検証 |
|
|
1979 |
新潟水俣病ニュース |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
たたかいの環をひろげ財政を確立しよう |
21回感じ団体会議方針決定 |
|
|
1980 |
新潟水俣病ニュース |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
通産省の昭電ようごに怒る被災者ら |
昭電は現地でも画策 |
|
|
1981 |
新潟水俣病ニュース |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
要観察者は8名に |
2名は打ち切り 無料のリハビリは今後の運動で |
|
|
1982 |
民医連新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
昭電は人でなし |
近 喜代一 |
|
|
1983 |
民医連新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
被災者の立場になりきるときに… |
弁護士 坂東克彦 |
|
|
1984 |
民医連新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
怒りは川をさかのぼる |
新潟水俣病のたたかいの記録 |
|
|
1985 |
明るい医療 第83号 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
水俣病映画 撮影すすむ |
たたかいをひろげ、会員をふやすことをいそごう |
|
|
1986 |
明るい医療 第83号 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
水俣病の治療で六氏 |
沼垂診療所を指定 |
|
|
1987 |
明るい医療 第83号 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月1日 |
7/12 |
富山イタイイタイ病 訴訟の準備 |
|
|
|
1988 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月6日 |
7/12 |
廃水説には疑問あり 通産省が見解 |
水銀中毒事件 疫学的断定は危険 「資料が不十分」と指摘 |
|
|
1989 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月11日 |
7/12 |
患者支援組織つくる |
新潟からの水俣訪問を機に 水俣病に新たな動き |
|
|
1990 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月19日 |
7/12 |
手を握る水俣患者 |
熊本へ新潟から代表団 |
|
|
1991 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月12日 |
7/12 |
読者の写真 |
阿賀野川 新潟 近藤修 |
|
|
1992 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月12日 |
7/12 |
公害に苦しむ漁民 |
兵庫 古川生 |
|
|
1993 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月14日 |
7/12 |
阿賀野川水銀中毒患者 医療費補助決る |
|
|
|
1994 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月14日 |
7/12 |
次回は三月七日 |
水銀訴訟口頭弁論 |
|
|
1995 |
新潟日報 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月17日 |
7/12 |
きっとよい映画に |
今井監督来港 「新潟水俣病」で語る |
|
|
1996 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月14日 |
7/12 |
みんなの科学 |
真犯人はどこに? もめる阿賀野川水銀中毒 |
|
|
1997 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月18日 |
7/12 |
水俣病対策市民会議を結成 |
熊本 厚相への陳情などきめる |
|
|
1998 |
赤旗 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月17日 |
7/12 |
水銀排除は不完全 |
大牟田川汚染調査 沈でん物を野積み |
|
|
1999 |
毎日新聞(新潟版) |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月18日 |
7/12 |
桑野被告に有利な鑑定 水銀中毒者の交通裁判 |
「事故原因と中毒の関係否定はできない」 高橋東大助教授 |
|
|
2000 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ-1134 |
1968(昭和43)年1月20日 |
7/12 |
水俣病を見つめて十四年間 |
水俣市 松本勉 (水俣病原因究明対策会議事務局長) |
|
|
|