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資料No. |
新聞名 |
ファイル名 |
年月日 |
冊 |
記事名 |
見出し |
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30451 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月7日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その一 開発に追われる自然<5> |
渡り鳥さえ見放す 甘過ぎた保安林の解除 心荒らす精神公害 |
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30452 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月8日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その一 開発に追われる自然<6> |
自然保護を第一に 必要な工事後の回復計画 |
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30453 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月11日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<8> |
豊富な水に甘える 魚が水質の生きた目安 六段階の水質基準 恐ろしい重金属も |
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30454 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月12日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<9> |
川の自浄作用マヒ 少ない水量、多い有機物 |
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30455 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月13日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<10> |
酸素ゼロの通船川 工場排水はたれ流し同然 |
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30456 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月14日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<11> |
汚濁の犯人は工場 ドロからまだ水銀が… 魚がくさい関川 |
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30457 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月15日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<12> |
水量減り姿消す魚 ダムでゆがんだ阿賀 小さくなったアユ |
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30458 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月16日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<13> |
すでに死者が6人 有機水銀が凝縮され口に 食物連鎖で蓄積 |
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30459 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月18日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<14> |
絶滅のサケ、マス 工場廃液、基準以下だが… 死んだ河口・胎内 |
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30460 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月19日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その二 川はよごれ放題<15> |
監視役に金魚利用 複合汚染・西蒲の川 |
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30461 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月25日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その三 ひろがる空のよごれ<19> |
四日市型、人体の影響多い 直江津の空 公害地図作成へ |
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30462 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月26日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その三 ひろがる空のよごれ<20> |
根拠のない県基準 フッ素ガスの脅威 |
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30463 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年11月27日 |
1/19 |
破壊 県下の現状その三 ひろがる空のよごれ<21> |
無害強調する企業 点在する汚染源 |
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30464 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1970(昭和45)年12月22日 |
1/19 |
水俣病の生業資金県が増額を値切る |
20-25%に縮小 共闘協議きょう再交渉へ |
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30465 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年1月9日 |
2/19 |
怨念の跡 |
―目で見る水俣病― |
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30466 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年2月5日 |
2/19 |
水俣病裁判 終始「覚えていない」 |
ネコ実験で元工場長 |
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30467 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年2月10日 |
2/19 |
知恵子ちゃんは歩ける! |
水俣の三隅医師が診断 |
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30468 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年2月10日 |
2/19 |
10年の苦しみ切々と |
新潟水俣病 出張尋問終わる |
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30469 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年2月28日 |
2/19 |
会社人事 機構改革 |
昭和電工 |
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30470 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年3月1日 |
2/19 |
新潟水俣病 無視されていた警告 |
発生の二年前に指摘 昭電技術者へ大八木教授 きょう法廷で証言 |
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30471 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年3月5日 |
2/19 |
公害訴訟の制裁的機能 |
加害者は贖罪の義務 高額慰謝料に予防効果 |
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30472 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年4月22日 |
2/19 |
阿賀上流 地震前に汚染魚 公害工場主に有罪 |
滝沢助教授が狂死のネコを調査 骨などから多量の水銀 東京地裁「たれ流しの神経疑う」 |
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30473 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年5月19日 |
2/19 |
過失でなく故意の殺人 水俣病裁判最終口頭弁論 |
坂東弁護団幹事長 昭電の責任、鋭く追及 |
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30474 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年5月19日 |
2/19 |
原告側弁論終わる 新潟水俣病裁判 |
きょう注目の結審 〝未必の故意〟責任取れ |
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30475 |
ASA |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年5月29日 |
2/19 |
水俣病は未必の故意 |
個人ならば刑罰はまぬがれぬ |
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30476 |
国民新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年8月25日 |
2/19 |
一般市民は迷惑顔 非人道な墓あばき 宣伝に手段選ばぬ 水俣市民は冷静 |
安中 公明、共産両党が共闘 阿賀野川水銀中毒事件の真実 ウソの積み重ね 農業にもメスを |
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30477 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
原則貫いた被害者 |
新潟水俣病裁判の判決を聞いて |
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30478 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
公害裁判ウツシマシタ |
写真 |
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30479 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
新潟水俣病 判決のあとに(2) |
公害、全部局で担当 検査機関の充実も課題 |
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30480 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
新潟水俣病判決を聞いて |
画期的因果関係の判断 企業優先思想への警告 |
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30481 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
遺影つきつけ怒りの深夜交渉 昭電本社で原告ら |
金で済むと思うか 社長、やっと頭下げる 阿賀の水をきれいに 〝身体は元に戻らない〟 |
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30482 |
朝日新聞(新潟版) |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
水俣病裁判の残したもの |
公害へ挑戦の気運高まる 住民運動に励み まだ低い企業側の意識 |
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30483 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
企業も良心を持て |
新潟水俣病患者の勝訴 |
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30484 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月1日 |
2/19 |
昭電社長あやまる 「二度と公害起さぬ」 患者代表と誓いの握手 刑事責任の追及も |
ついに聞いたこの一言 新潟水俣病患者たち 昭電が賠償金2億7千万円払う |
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30485 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月2日 |
2/19 |
新潟水俣病 判決のあとに(3) |
「健康守る法律作れ」黒井地区など闘争始まる 力を得た住民運動 |
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30486 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月2日 |
2/19 |
会の組織さらに強化 「新潟水俣病被災者の会」役員会 一部控訴、結論出ず |
県警本部長談 昭電の刑事責任追及 判決全文見て検討 |
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30487 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月3日 |
2/19 |
「新潟水俣病」に勝訴の判決 |
企業責任きびしく指摘 こんごの公害裁判に大きな影響 |
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30488 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月3日 |
2/19 |
さらに水俣病研究を |
新潟水俣病の被災者とともにたたかってきた医師斎藤恒さん |
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30489 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月4日 |
2/19 |
最終認定は県にまかせる |
水俣病審査会 |
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30490 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月4日 |
2/19 |
水俣病裁判を機に公害闘争 |
合化労連 |
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30491 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月4日 |
2/19 |
治療法の確立を急ごう 理性を忘れた科学 |
新潟水俣病判決に思う 企業は人間第一に改めよ |
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30492 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月4日 |
2/19 |
水銀 その点と線<2> 新潟水俣病判決理由書から |
三、国の調査研究とその見解 |
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30493 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月4日 |
2/19 |
新潟水俣病 判決のあとに(5) |
実態直視の姿勢を 閉鎖性からの脱皮も必要 |
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30494 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月5日 |
2/19 |
水俣病生業資金の返済不要 |
新潟、豊栄市も認める |
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30495 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月5日 |
2/19 |
水銀 その点と線<3> 新潟水俣病判決理由書から |
四、行政機関等による患者の認定 五、行政見解等に対する被告の反論 |
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30496 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月5日 |
2/19 |
新潟水俣病 判決のあとに(6) |
職場の点検、足場に 地域住民との共闘が課題 |
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30497 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月6日 |
2/19 |
被害者の要求額を認めては |
水俣補償、金ですむとおもわぬが |
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30498 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月6日 |
2/19 |
公害訴訟の意義 環境をまもろう |
予防にも訴えを 他企業に抑制の効用 |
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30499 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月6日 |
2/19 |
水銀 その点と線<4> 新潟水俣病判決理由書から |
中毒症と被告の行為との因果関係 |
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30500 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1971(昭和46)年10月6日 |
2/19 |
県会五氏が一般質問 昭電に請求しない |
知事答弁 新潟水俣の生業資金 |
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