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資料No. |
新聞名 |
ファイル名 |
年月日 |
冊 |
記事名 |
見出し |
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31051 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月19日 |
6/19 |
チッソの責任いまこそ明確に 各界関係者の声 |
あす水俣病裁判の判決 |
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31052 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月19日 |
6/19 |
テント並び緊迫 |
水俣病裁判判決前に世界の耳目集めて |
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31053 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
公害病もうイヤだ 被害者全国大会 |
根絶へ徹底抗戦 釜さん訴え 勝訴の言葉使うな |
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31054 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
この体、カネで戻らぬ 『裁判が終わってもチッソ、ニクカ』 |
胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん 卒業―業苦果てず 社会の荒波へ 坂本しのぶさんら3人水俣一中を巣立つ |
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31055 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
水俣病裁判 けさ注目の判決 熊本地裁 |
患者発見から17年ぶり 『この耳で確かめる』 『油症』新たに31人 新基準で判定 患者更に増える公算 |
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31056 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
〝チッソ〟がにくい 道徳の時間に公害授業の事前学習 |
児童ら懸命の告発 先生の胸つく〝手ごたえ〟熊本市の小学校 |
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31057 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
チッソが上訴権放棄 |
水俣病裁判きょう判決 |
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31058 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
公害の根を断つまで 熊本 |
判決控え全国大会 チッソ糾弾 被害者が一堂に |
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31059 |
赤旗 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
水俣病 底知れぬ実態を浮彫り 医師団の女島地区県検診 |
まだいる隠された患者 いそがれる日常の治療体制 |
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31060 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
じっと待つ審判の時 水俣判決 |
17年間の感慨胸に 患者ら続々熊本へ 道遠し「真の解決」訴訟派は年金闘争へ |
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31061 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
「水俣病裁判」きょう判決 会社は上訴権放棄 |
チッソ社長表明「患者にわびたい」 「責任回避の手段」患者側冷やか |
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31062 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
「汚染の心配なし」 水銀中毒で県衛生部 |
学童検診で結論 |
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31063 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
今日の問題 |
終わりなき水俣病 |
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31064 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
水俣病裁判きょう注目の判決 患者側の勝訴は確実 |
〝水俣病は終わらない〟 全国の公害患者ら二百人 熊本で抗議大会 |
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31065 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
花作りの人生へ向けて 胎児性水俣病の坂本しのぶさん 判決前に卒業式 |
不自由な口で「仰げば尊し」 〝再検査必要〟は二人 水俣病阿賀流域の学童調査 |
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31066 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
入学迎え悲惨な水俣病の童女 |
0 |
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31067 |
新潟日報(夕刊) |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
カネもらっても怨念晴れぬ 水俣病判決 |
拍手、歓声もなし 遺影抱き涙で判決聞く 「生涯の面倒みろ」TVに見入る新潟の患者たち |
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31068 |
新潟日報(夕刊) |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月20日 |
6/19 |
水俣病裁判 患者側が勝訴 3年9か月ぶり熊本地裁判決 チッソの過失と断定 予見できた危害 政府も反省せよ |
賠償金請求消滅せず 見舞金契約は無効 総額九億三千万円認む 容認額 死亡・患者ほぼ全額 汚染水論の理念受け入れ |
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31069 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
チッソに全面責任 水俣病裁判、患者側が勝訴 熊本地裁 注意すれば予見できた |
最高千八百万円 賠償総額 九億三千余万円 見舞金契約は無効 判決、企業過失を推認 |
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31070 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病判決のあとに<上>死を待つ行政 政府も反省の言葉 政治に責任あり 裁かれたのは政治 参院予算委で鋭い追及 |
過去の経過環境庁長官認める ぬかりがあった 通産相表明 賠償支払い済みの患者差額分積み上げの意向 島田社長 |
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31071 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
万歳と叫べぬ勝訴 金で命・体が戻るか うめく患者 誠意欠くチッソ 党派超え闘い継続 |
17年間の〝怨念〟晴れず 頭たれるチッソ側 判決文「罪状」えぐる 精いっぱいの判決 |
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31072 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
社説 ひと |
企業を厳しく糾弾した水俣病判決 残された問題の解決を急げ 水俣病裁判の裁判長 斎藤次郎 |
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31073 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病裁判判決理由要旨 「防止」のキメ手に焦点 今後の公害裁判 判断待たれる「環境権」 調停の重要な指標 公調委委員長 |
実務面のカベどう打開 野党が声明・談話 水俣病裁判の争点一覧 水俣病メモ |
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31074 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病判決のもたらしたもの 座談会 水俣病とその周辺 |
公害は裁判で防げぬ 淡路 自活できる施設造れ 坂本 問われる医者の姿勢 原田 企業責任いぜん軽い 星野 |
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31075 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
企業の町に残る不安 その日の水俣 原告の請求額と容認額 |
チッソ消えるのでは 元凶―だが生活に響く 多くの市民は複雑な表情 県民の反響 |
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31076 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
病も怒りも消えず 要求に期待増す 対策班設け行政転換 賠償総額は12億円近く |
公害列島ドキュメント 水俣の中の日本人 自主交渉派「さらに姿勢強める」 熊本県知事 反省と決意を表明 |
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31077 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
なおも続く苦しみ 「盆も正月もなか」 娘と夫のよい供養に 原告ゼロ号の上野さん |
胎児性患者の母 この子に生ある限り… あとに残る孤立の不安 刑事責任追及には否定的 熊本県敬本部長が語る |
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31078 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病チッソに全面過失 患者には全額認める 熊本地裁 九億三千万円払え 見舞金契約無効 土下座して謝る山根支店長(写真) |
最高額は千八百万円 家族26人は棄却 チッソが利息含め十一億八千万円支払う 判決理由(骨子) 抜本解決、政治努力で |
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31079 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
むなしい生命の償い 水俣病裁判判決理由要旨 工場措置 適切さ欠く |
判決と原、被告の主張 原告別損害賠償請求・容認額一覧表 |
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31080 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
明るい水俣いつの日 続く補償の〝尺度〟に=解説= 残る水銀ヘドロ 患者切り捨てご免だ |
環境にも注意義務求める チッソ城下町 補償倒産の不安も ヘドロ処理に事業費 |
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31081 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病判決の意味を探る 公害撲滅の出発点に 甘すぎる責任範囲 国や地方自治体も一体感を 民事解決に限界 刑事責任追及も |
評価できる姿勢〝犯罪を過失〟に疑問も 低すぎる家族の慰謝料 患者掘り起こしに全力尽せ |
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31082 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
『水俣』を生かす道 これからの地域を考える 社説 |
30人委員の発言 水俣病は会社の全面過失―判決後になすべきこと― |
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31083 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
公害対策の契機に 水俣病判決 公害地の表情 |
首相 水俣病判決で表明 行政の在り方を反省 訴訟の成果ステップに 患者救済に行動を |
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31084 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣の教訓生かそう 公害防止に万全策 |
西日本産業界 大幅融資や技術開発 通産局は監視強化 |
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31085 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
手ぬるさ許されぬ 難問山積の水俣病対策 急げ!患者の救済 県に公害テレメーター 49年春スタート |
知事近く上京、国へ直談判 新たな戦いへ気勢患者代表らデモ行進 汚染状況を的確に県全域を一目で監視 |
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31086 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
〝苦会〟果てなし 判決…その波紋 上積み勝ち取る〝差額考慮〟信用できぬ |
水俣の証言記者ノートから 安住の地はどこに……人間が人間を傷つける 私たちも水俣病と叫びたか 二次訴訟派 |
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31087 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病判決<1>新たな旅立ち 金はまた差別生む 悩み多い〝処理人間〟 怨念こめ、ただ沈黙 法廷内 Vサイン、拍手もなく |
患者不在のケンカ 入廷前 心ない支援グループ 水俣病支援センター7月に完成 |
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31088 |
西日本新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
始まった新しい闘い 水俣病患者〝判決だけでは救われぬ〟 大挙、東京交渉へ チッソに『海と生活返せ』 |
第一次訴訟派 渡辺代表が辞任 熊本から逃避行 島田社長 東京でやっと会見 |
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31089 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
〝怨〟の怒号に支社長土下座 チッソ賠償全額支払う あすにも交渉 患者と島田社長 全患者に賠償を 三木長官補償の一挙解決望む |
補償履行に全力 島田社長 判決後初の記者会見 水俣を撤退するチッソ |
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31090 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病裁判の判決理由要旨 チッソ、注意義務怠る 原因究明遅らせ、被害増大 |
「企業・行政の努力なしで公害は解決しない」斎藤次郎裁判長 争点・判断表 |
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31091 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
水俣病判決を聞いて 〝つらいきずな〟に怒りも新た 新潟の患者たち |
金額をなぜ削った 杉崎さん兄弟 役所も責任持て 遅かった判決 鎌田さん 苦痛は和がない イ病、四日市公害関係者 昭電の苦境は必至 患者〝一千万円は最低基準〟 |
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31092 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
6/19 |
―終わりなき苦しみ背負い― 熊本地裁前の集会 患者に激励の声「水俣病は続く」を確認 |
去る人―水俣は〝迫害の地〟渡辺さん 身も心も疲れ果てた… 残る人―公害闘争に生きがい 浜元さん 不自由な体引きずり |
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31093 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
勝訴はしたが苦闘は続く 現地座談会 社説 |
取り戻せぬ〝命〟と〝幸福〟 住民で行政の後れ告発を 責任、行動で果たせ 会社は全面永代救済を考えよ 支援の闘いさらに強化を |
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31094 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病、チッソに全面責任 四大公害裁判すべて患者側勝つ 許せぬ住民犠牲、環境破壊 |
注意義務を怠る 九億三千万円支払え 「死者千八百万円」補償額のカベ破ったが…消せぬ患者の悲劇 |
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31095 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
問われる〝行政〟の姿勢 許されぬ〝単なる仲介者〟治療検診…難問ばかり 四大訴訟 もう無視できぬ住民パワー 企業の後退浮彫り |
48年度からヘドロ除去 水俣病 政府、調停努力も約束 判決額、算定基準に 調整委 調停作業を早める |
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31096 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
定着した〝企業責任論〟 座談会 患者〝全面救済〟の道を 金銭補償だけではすまぬ 制裁の法整備急げ 公害を防ぐ訴訟が大切 |
モラル引締めよう 財界反響 公害裁判は争えぬ 「今後の補償総額見当もつかない」=頭かかえるチッソ= |
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31097 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
「怨 晴れるもんじゃなか」水俣病判決 |
黙りこくる患者ら「チッソ監視、死ぬまで」 生涯この子と泣いて うつろに―智子さんの父 |
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31098 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
〝宝子〟に判決は聞こえぬ 「母さん」と甘えておくれ 16年、智子は何を〝胎児性〟の苦しみなお |
これからも支援を 報告集会 患者ら力強いあいさつ 刑事責任を検討 熊本県警 立証はむずかしい? |
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31099 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
―水俣仮執行―なお「怨念」晴れず 怒りの声に土下座 山根支社長「今後は湾を汚さぬ」 |
この手足、元に戻らぬ 判決の一瞬 患者ら冷ややか 償いにならん 退廷の患者 |
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31100 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病裁判の判決要旨 |
0 |
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