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資料No. |
新聞名 |
ファイル名 |
年月日 |
冊 |
記事名 |
見出し |
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31101 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病 判決聞いて―角界の声 街角の人にも涙 |
主婦 温かく見守る 水俣市長 新段階迎え献身的に 高校生 支援へ団結を さすが大きい市民の関心 |
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31102 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
万歳は叫べない<1>「四大公害」勝訴の陰で |
海の男の怒り 刑事罰なぜ問わぬ 「公害も犯罪」の認識もて |
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31103 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病判決 原告の闘いに拍手 |
「同じ苦しみ」他派の患者 |
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31104 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
社説 |
水俣判決で公害病は終らない |
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31105 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
生き供養 |
判決を聞いて |
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31106 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
「反公害 一段と」 |
各地の声・切実に |
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31107 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
その朝…しみじみと |
〝水俣病告発〟の入鹿山教授 |
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31108 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
「そっとしておいて」収容児いたわる指導員 |
その日の明水園〔重度身障者収容施設〕 |
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31109 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
県 住民の不安解消へ |
水俣地域 総合対策班スタート |
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31110 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病判決…県内の反響 |
唯一の救い 満額補償 昭電交渉これからが本番 |
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31111 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
勝訴 だが変わらぬ苦難 水俣病の患者・家族 |
判決の瞬間 マユひとつ動かさず 静寂破る低いうめき声 社長、会見に出ず チッソ常務、小声でおわび |
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31112 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病、チッソに責任 患者側が全面勝訴 見舞金契約は無効 |
注意義務怠り過失 損害賠償額は九億三千万円 最高は千八百万円 |
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31113 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病判決のあとに~上~死を待つ行政 公害企業へ重い波紋 |
犠牲重ねやっと対策 「勝訴」だけで公害消えぬ 事後救済制を定着化 廃水放出安全の確認が必要 全患者に賠償適用 参院予算委 政府答弁 解決へ側面援助 水俣湾のヘドロ処理 48年度から実施さす |
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31114 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣判決のもたらしたもの 座談会 被害者救済にどう生かす 判決理由の要旨 |
怠慢な行政追及の時 淡路 慢性汚染防止が急務 星野 患者本位の医療確立 原田 被害者の認定急いで 坂本 |
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31115 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
繰り返すな、この悲惨 「水俣」以後の公害裁判「救済」から「防止」へ |
差止請求と環境権 二つの手段が焦点に 原告側弁護団 公害闘争の土台に 水俣病裁判 争点一覧 |
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31116 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
償えぬ17年「水俣と私」 |
公害列島覆う証言 |
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31117 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
社説 |
企業を厳しく糾弾した水俣病判決 |
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31118 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
ひと |
水俣病裁判の裁判長 斎藤次郎 |
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31119 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病裁判をかみしめる |
大規模工業基地 汚染の前に打つ手が 求められる行政指導力 |
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31120 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣の〝苦海〟果てなく 勝訴にも心重い患者側 元に戻らぬこの体 賠償減額に表情変えず |
島田社長22日、水俣でおわび チッソ即時支払い用意 望まれる積極的な行政 |
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31121 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣判決 姿勢正す産業界 |
逃げ腰は許されぬ「企業の悪」の判定はっきり |
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31122 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
社説 |
水俣判決を企業は真剣に受け止めよ |
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31123 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
チッソ、具体提案を 三木環境庁長官が談話 水俣病判決理由要旨 |
48年度からヘドロ処理 公害行政前進の契機に 参院予算委 首相、水俣判決で答弁 |
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31124 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
公害企業に厳しい制裁 熊本地裁判決 水俣病はチッソの責任 |
汚染事前注意怠る 損害賠償9億余に減額 判決の骨子 |
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31125 |
日本経済新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
チッソはどうなる<上> |
ぼう大な賠償金額 危機に耐え、払う覚悟 |
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31126 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
政界メモ |
頭の痛い話は引っ込めろ |
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31127 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病裁判 患者側が全面勝訴 チッソの責任断定 |
熊本地裁九億三千万円払え 「見舞い金契約」は無効 汚悪水論に近い判断 |
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31128 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
終わりの始まり水俣裁判 |
「企業絶対」にとどめ 苦難の闘争、防止へ道開く |
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31129 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
企業公害 高まる危機管理意識 水俣病判決で反響 |
責任、実践で示せ「因果関係則」確立の声も チッソ、厳しい再建の道 総補償、百億円超えそう |
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31130 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
社説 |
水俣病裁判の判決がもつ意味 |
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31131 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
やっとカタキばとったよ その時、万歳も拍手もなく 島田社長は〝蒸発〟記者会見も中止 |
金じゃない、両親返せ 原告浜元フミヨさん 結婚せず待った〝この日〟 廷内―勝利もわからず…響く患者の奇声 廷外―万感ただ涙、報告集会 |
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31132 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
でも怨念晴れず 苦闘に終わりはない |
四大公害訴訟の代表者は語る 企業のエゴを痛感 行政の責任も問え |
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31133 |
読売新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病裁判 一生の憂き目、消えぬ企業の罪 判決理由要旨 |
廃水の注意義務怠る 〝人殺し繁栄〟思い知れ |
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31134 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
公害の防止に全力 |
県議会 水俣病で超党派の決議 |
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31135 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
行政の緩慢を反省 |
水俣病判決で通産相 誠意ある補償指導 |
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31136 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病判決 勝訴もむなし〝苦海〟の道 |
〝金は死んだ親の代償〟チッソ追及、なお厳しく 渡辺代表が辞意表明 現地決起集会支援グループは慰留 |
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31137 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
チッソはどこへ行く 補償金は100億円超す |
無配・赤字18億円…さえぬ業績 倒産あるまいが大きい打撃 四大公害訴訟の判決対比表 |
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31138 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
公害行政前進の契機に 〝人情裁判官〟緊張の判決 斎藤次郎さん |
政府、ヘドロ処理急ぐ 公調委の作業を促進 救済制度の検討も 県、総合対策班を結成 |
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31139 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
チッソ水俣で仮執行 賠償金全額支払う |
幹部、土下座で謝る 島田チッソ社長が会見「補償」に万全期する |
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31140 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病判決 確立した企業責任論 安全確認義務づけ |
水俣病の悲惨さ理解 汚悪水論の理念ふまえ 原告の勝利は当然 <水俣病裁判―争点と判決> |
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31141 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
水俣病判決の意義 反公害の闘いへ 座談会 問われる行政の責任 判決を公害の歯止めに |
環境権の立法化を 住民運動に一つの転機 キメ細かい救済を 医療も患者本位に |
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31142 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
社説 |
―熊本地裁 水俣病に判決―きびしく企業責任追及 |
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31143 |
熊本日日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月21日 |
7/19 |
無心なわが子に涙 上村さん〝死闘〟いつまで続く よみがえらぬ患者の笑顔 補聴器に運命の判決 みじろぎもせず沈痛に |
判決の瞬間 智子さんは眠っていた 勝訴でも苦痛は残る 富山など公害地の表情 水俣市役所赤崎さんの判決ドキュメント |
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31144 |
毎日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月22日 |
7/19 |
社長と直接交渉 |
水俣患者ら チッソ本社へ |
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31145 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月23日 |
7/19 |
水俣判決のあとに~中~企業の〝本音〟 |
公害問題の収束望む 強く働く自己保存本能 |
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31146 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月23日 |
7/19 |
声 |
水俣病裁判について |
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31147 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月23日 |
7/19 |
チッソ 隠された賠償能力 |
業績、めざましい回復 本社は自転車操業 背後に黒字子会社群 |
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31148 |
朝日新聞 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月23日 |
7/19 |
水俣病 賠償の誓約書に署名 |
チッソ社長、患者に誤る 水俣の閉鎖退陣考えぬ |
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31149 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月23日 |
7/19 |
「水俣病のすべてを補償」チッソ社長が〝誓約〟 |
延々五時間本社で直接交渉 チッソ社長土下座 |
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31150 |
新潟日報 |
No.Ⅱ‐2953 |
1973(昭和48)年3月23日 |
7/19 |
新潟水俣病に〝見落とし患者〟新大調査で判明 |
16人〝基準〟以上の症状 安田町 二度の検診からもれる |
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